モダンタイムス・上人は分からないことがあったらまず検索する。インターネットがなかったころはどうしていたんだっけ? とおもってしまうほどに、それは既に当たり前のことになっている。

伊坂幸太郎「モダンタイムス」。この小説の舞台は今から 50年ほど未来。恐妻家のシステムエンジニア・渡辺拓海がある仕事を請け負ってからというもの、彼の周囲では不穏な出来事が次々に起こる。彼らは皆、ある複数のキーワードを同時に検索していたのだった。

社会というシステムは「そういうことになっているもの」「仕組み」であって、その目に見えない大きな何か、漠然としたものに対峙していく。ネット社会、国家や権力といったもの、近未来の話ではあるけど、限りなく現在にも近いかんじで、今まさにそういう方向に向かっているのかもな・・・なんておもったり。

前半は面白かったけど、後半はテンポ悪くなったな。なんかいろいろ中途半端なかんじするし。本筋にはあんまり関係ないけど、気に入った一節↓
美味しいものは、食べると消える。世の中で一番つらいことの一つ- モダンタイムス(下)
Posted by petite-tomo | 2012-01-30 23:26 | 本と映画 | Add Comments
年末といえば、映画見ない病のわたしが年に1度映画館に出向く機会。特に観たいものもなかったんだけど、たまたま招待券をいただいたので「源氏物語 千年の謎」を観に行ってきた。

紫式部と光源氏のふたつの物語が交錯する、新しい「源氏物語」ということらしい。わりとオカルトな要素強めな印象。昔、古文の授業ではじめて源氏物語を読んだときもおもったけど、六条の御息所こえええええ。

うーん、正直なとこせっかく年一の映画なんだからもうちょっとちゃんと選べばよかったなといったかんじ。ネットでみたモテキのほうがおもしろかったなw
Posted by petite-tomo | 2011-12-29 23:55 | 本と映画 | Add Comments
怪帝ナポレオン三世 第二帝政全史友人の読書 tweet で知り、高校のとき世界史好きだったので読んでみようとおもって積んでおいたもの。なじみのある名前がたくさん出てくるんだけど、忘れている部分もあるので実家で当時のノートを引っ張り出してきてざっとおさらいするなどした。

ナポレオンの甥であるルイ=ナポレオン(ナポレオン三世)の生涯とその治世であるフランス第二帝政を描く。偉大な皇帝であった伯父とは対象的に、凡庸で女好き、さらには戦争で捕虜になり帝政の終焉を迎えることなどからマイナスイメージが強いナポレオン三世。しかし、実は社会福祉や公共事業を進め、フランス近代化に大きく貢献しているということがわかる。現在の美しいパリの都も彼の大改造によるところが大きいそうだ。謎多き皇帝は、著者の言うように「評価されざる偉大な皇帝」だったのかもしれない。
Posted by petite-tomo | 2011-12-27 21:25 | 本と映画 | Add Comments
あやめ 鰈 ひかがみ今月の1冊、ジョブズの自伝。といきたいところだけど、買ってない。あーゆうのは1年後とかにブクオフあたりでやっすく買えるからね。そしたら読んでみてもいっかな、ていう。まあその程度。

で、なんとなく松浦寿輝が読みたくなり(わたしは時折このサイクルがやってくる。たぶん、松浦寿輝が好きなんだとおもう)、「あやめ 鰈 ひかがみ」。年の瀬の東京の片隅で、生と死の狭間で紡ぎだされる3つの物語。それぞれ独立した短編だけど、少しずつ絡みあって夢幻の世界に迷い込む感じが心地良い。しかもこの作品、舞台がウチの近所すぎて、街の描写がわかりすぎるもんだから、ますます現実と幻の境がわからなくなる。年の瀬の、仕事も納まって忘年会もひととおり終わり、でもまだ大晦日まで迫ってはいない、あの消化試合みたいな宙ぶらりんみたいな1日2日の雰囲気がわたしは大好きなんだけど、死ぬ間際のモラトリアムとでもいうか、その感じにちょっと似ていなくもないのかもしれない。1年の終わり=人生の終わりという暗示。この陰鬱な雰囲気、以前読んだ「花腐し」にも似て、やっぱりこの人の小説は好きだなとおもった。

ところでわたしはこの小説ではじめて「ひかがみ」という単語を知った。膝の裏側のことらしい。使ったことも聞いたこともなかったわ。。
Posted by petite-tomo | 2011-11-28 22:27 | 本と映画 | Add Comments
中二階ここんとこジャンルはまったく違うんだけどたまたま外国人作家の著作が続いていたので、なんとなくその流れで積んであった本の中からニコルソン・ベイカー「中二階」を手に取った。

この小説は、一人の男が昼休みを終えてオフィスのある中二階に戻るエスカレータに乗るところからはじまり、下りるところで終わる。その間、彼の思考はめまぐるしく展開され、日常の何気ないことを超ミクロ的に考察している。思考はどんどん枝分かれし脱線に脱線を重ね、それはまたとんでもない長さの注釈となって本文をも浸食する*1。切れた靴ひもにはじまり、牛乳パック、ストロー、ペーパータオル、ポップコーン、耳栓、シャンプー、などなど、日用品とそれをとりまく日常に終始しながらもひとつひとつに物語があり、ところどころニヤリとさせつつ読ませるのだ。普段見落としがちだけど、日常とはなんと楽しいことにあふれているんだろうとおもう*2

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*1 この注釈が数ページにわたることもあり、話があちこち飛ぶ上になんどもページを行ったり来たりして、読みはじめはどうも読みにくくて困ったものだ。だけど読み進めるうちにだんだんそれにも慣れてきて、自分のリズムで本文を離れてまた戻って、という動作が出来るようになっていた。お気づきの方がいるかもしれないが、このエントリにおいてこのスタイルをちょっぴり取り入れてみた。

*2 ドラッグストアのレジ係のオネーちゃんが有能で、多少並んでる人数が多くてもレジを捌くスピードが速いので結果早く会計を済ませることができる、というエピソードがあった。ちょうど先日読んだばかりのきのう何食べた? 5巻(この本も、料理が参考になるというだけでなく、日常の幸せをひしひしと感じることができるからほんとうに好きだ)にもこれとまったく同じエピソードが描かれていた。そしてご多分にもれず、わたしにも近所のスーパーにお気に入りのレジのオネーちゃんがいる。彼女のレジ捌きはひときわ秀でている。スピードもさることながら、大量の商品をカゴの中に収めるその整理の仕方が実に合理的で美しいのだ。なので、列の長さや並んでいる客のカゴの中身を鑑みつつ、彼女の列に並ぶことも多い。ある日、彼女のレジで会計を済ませ、袋に商品を詰めて店を出たとき、買ったはずの豆大福を袋に入れた記憶がないことに気づいた。レシートを見ると、たしかにレジは打ってある。袋の中にはやはりない。おかしいな、とおもってレジに戻り、彼女にその旨を伝える。どこかに引っ込んで、しばらくして戻ってきた。手には豆大福。他のお客さんが届けてくれたそうだ。つまり、わたしが袋に入れ忘れていたということだ。大福一つに必死になってる人みたいで(実際必死だったわけだが)、なんとも恥ずかしいことであった。きのう何食べた? において、シロさんの「今時スーパーで買い物するサラリーマンなんか珍しくないし俺のことなんかいちいち覚えていないだろう」という考えとは裏腹に、有能なレジのオバさんは「木曜日の低脂肪乳男」と認識していた(であろう)ことと同様、わたしもよく水曜日に(ポイント5倍デーなのだ)買い物に行くことが多いのだが、いつも作業着であるため、「水曜日の作業着の女」と認識されているんじゃないか、という自意識をもっていた。そしてこの一件で彼女はわたしを「水曜日の作業着の女」から「水曜日の作業着の大福女」と認識したんじゃないか、などというどうでもいい被害妄想にとらわれたりもした。だもんで、彼女の列に並びにくくなってしまった。そろそろ大福のことは忘れてくれているといいのだが。それにしても、ひと月に読んだ本の中でまったく同じエピソードに出会うとは、おもしろいものである。
Posted by petite-tomo | 2011-10-27 22:46 | 本と映画 | Add Comments
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